買取価格45%アップ? できません!
2022/12/26
皆さま、良いクリスマスを過ごされましたか? 私はアメリカに2年住んでいましたが、クリスマスとサンクスギビングは家族そろって楽しいひと時を過ごす、心温まるイベントでした(お正月は特に祝わないんですよ)。
さて、今年も骨董品、美術品、宝石、貴金属、ブランド品を中心に、幅広い品物を買い取らせていただきました。何よりも良いお客さまに恵まれ、いろいろお話をしながら、楽しく仕事をさせていただきました。ありがとうございました。
お客様のご要望に応じて買い取ってきましたので、中には立派な座卓や介護用ベッド、火鉢などもありましたが、さすがに保管場所に限りがあり、今後はお断りせざるを得ないかもしれません・・。すみません。
さて、最近は買取店があちこちにオープンしています。ある大手の買取店などはテレビやチラシで大々的に宣伝していますが、その中で「買取価格45%アップ」と書かれていたので驚きました。
冷静に考えると、キャンペーンとはいえ45%も買取価格を上げることができるはずがないと思います。45%も高く買っても利益が出るなら、日ごろの買取価格はどれくらい安いのかということになりませんか? 正しい査定価格で買い取っているとはとても思えないですね。
また、「着物を高く買います」という宣伝もよく見ますが、すべての着物とは言っていません。買ってくれるのはほんの一部で、ほとんどは置いて行かれるという話をよく聞きます。また、着物よりも貴金属やブランド品がないかとしつこく聞かれて嫌な気持ちになったというお客さまも多いです。
当店は正しい査定価格に基づいて、日ごろから他店よりも高く買い取るようにしていますので、あのようなキャンペーンはとてもできません。派手な広告も出していませんが、広告にかけるコストを買取価格に反映するようにしています。目先の利益よりも、良いお客さまと長くお付き合いさせていただきたいと思っています。
派手な宣伝をしているところが必ずしも高く買ってくれる訳ではないですし、無差別に電話をしてきたり、いきなり訪問してくるような業者は問題がある場合も多いですから、ご注意くださいね。
来年もまじめに、誠実に、お客様に喜ばれる仕事を続けていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
円山応挙の掛軸
2022/12/03
先日、お客さまから掛軸の査定を依頼されました。立派な共箱に入った円山応挙の山水画で、掛軸と一緒に応挙の孫・応震の養子であった円山応立による鑑定書も付属していたので、これは真筆(本物)であろうという期待をもってお預かりしました。
自分でも色々調べ、査定をした上で、日頃お世話になっている骨董の専門家の方に見ていただいたのですが、真筆と見るにはいくつか疑問点があるとのこと。念のために別の骨董の専門家にも見てもらいましたが、やはり「写し」でしょうとの鑑定でした。
円山応挙ほどの有名な絵師になると、悪意があったかどうかは別にして、「写し」が本物として売られてしまうことがよくあったそうです。中にはとてもよく出来たものがあり、本物として出回ってしまっている場合もあるかもしれないとのこと。
ちょうど、ロレックスやルイヴィトンのスーパーコピーが出回るようなものでしょうか。こちらは悪意(金儲け)しかないですが(笑)。
今回、自分でもいろいろ調べましたので、たいへん勉強になりました。たとえば掛軸の落款のところに書かれている天明癸卯というのは、天明年間の癸卯(みずのとう)の年、すなわち天明3年(1783年)のこと。応挙は1733年生まれですから、本物であれば50歳(数え年で51歳)の時のものになります。もちろん、応挙自身やその真筆の絵、彼の後継者についても調べました。骨董・美術の世界は奥が深いですね。
お客さまにはきちんと説明をし、納得していただけたのでホッとしました。こういう結果を知らせるときは辛いですね。
当店は業界でも信頼されている骨董の専門家と契約をしていますので、掛軸をはじめ、様々な骨董品、美術品を正しく査定することができます。査定は無料ですので、ご遠慮なくお申し付けください。
地元の方々に喜んでいただけるように
2022/11/25
神戸市北区の星和台に住み始めてはや34年になります。「しあわせの村」のすぐ近くで、とても静かで住みやすく、同じ星和台の中で引っ越したほどです(2丁目→4丁目)。
星和台に住み始めて感心したことの一つは、自治会がすごく機能しているということです。昔、変な人が理事になって少しゴタゴタした時期もありましたが、役員さんたちは住みよい街づくりにいつもがんばってくださっています。自治会館である「星和台ファミリーホール」も住民の交流の場として、子どもからお年寄りまで、様々な活動をしています。
星和台自治会が毎月発行している「いぶき」という新聞があるのですが、こちらに今月から広告を載せていただくことになりました。文字通り地元密着で、少しでも皆さまのお役に立てたらと願っています。
ちなみに、神戸星和堂という名前は「星和台」にちなんで名付けました😄😄 良いお客様に恵まれて、創業一年を無事に迎えました。どうぞよろしくお願いします。
使いかけの(穴あきの)テレカ
2022/11/19
最近はテレホンカード買取の依頼も多いのですが、使いかけの(穴が開いた)ものや汚れがひどいものは買取れないので返却になりますが、そのまま置いていってくださるお客さまも多いです。
当店ではそのようなテレカを、生活保護を受けておられて携帯を子どもに持たせる余裕がないという方、老人ホームや施設に入っておられて携帯を使えない方との連絡、路上生活者などの支援を行っている団体、事情により携帯を持てない方などに差し上げることを続けてきました。
手伝いに行っている大阪の買取専門店の協力もあり、ずいぶんたまってきましたので、このブログをご覧いただいている皆さんの中で、上記のような理由でほしいという方がおられましたら差し上げたいと思います。送料も当店が負担しますので、ご遠慮なくメールやラインにてご連絡ください。
携帯を持っているが、タダならもらっておこうというのはご遠慮くださいね😅
色紙のむこうにロマンがありました!
2022/11/15
少し長くなります。
先日ご依頼をいただいたお客様は、亡くなったお父さまのものを整理されていました。
いろいろなものを買い取らせていただいたのですが、その中に、賀川豊彦、浅沼稲次郎、河上丈太郎という有名な方々の色紙がありました。若い方はご存じないと思いますが、明治、大正、昭和という激動の時代に、社会活動家、政治家として活躍された方々です。
特に賀川豊彦は神戸市出身で、灘神戸生協(コープこうべ)の創始者としても有名ですね。「死線を越えて」という伝記的小説は、大正時代になんと100万部を超える大ベストセラーとなり、ノーベル文学賞やノーベル平和賞の候補にも何度も挙げられたといいます。
色紙の中には誰のものか分からないものもありました。お客様も分からないとのことでしたので、たいした値打ちはないのだろうなと思いつつ持ち帰りましたが、少し気になって、色紙の作者を調べてみることにしました。
写真(↓)のように毛筆で書かれているのですが、達筆すぎて私には読み取れません。ただ名字が「西村」であることや、書かれている文の一部だけは読めたので、それを手掛かりにインターネットでいろいろ検索してみました。
すると、作者は西村清雄(すがお)という明治から昭和にかけて活躍した教育者で、日本人が創作した初の讃美歌「山路越えて」の作者としても有名な方でした。
https://www.youtube.com/watch?v=pjStzSizD8M
熱心なキリスト教徒であった彼は、宣教師のジャドソン女史が夜学校の設立を考えていたのに応えて「普通夜学会」を開きました。そして明治25年、21歳で校長となり、「松山夜学校」と改称し、寄宿生と一緒に働き、寝食を共にしたそうです。
私は定時制高校の教師を長く務めていましたので、その原点を見たような思いでした。
明治36年、宇和島で伝道を続けていたジャドソン女史の応援の帰途、旅の難所と言われていた法華津峠(愛媛県)で夜を迎え、そのときの体験を「山路こえて」という詩にしたのです。
その讃美歌を作るきっかけとなった愛媛県の法華津峠には、その歌碑が立てられていて、西村はその教育者としての功績を称えられて、松山市の名誉市民にも選ばれました。しかも彼の祖父は幕末の松山を代表する歌人西村清臣。叔父は道後村村長で道後温泉本館を建てた伊佐庭如矢です。
いただいた色紙に書かれていたのは、その「山路越えて」の歌詞だったのです。誰のものか分からないと思っていた色紙のむこうに、こんなに素敵な物語があったのですね、私もいつか法華津峠の歌碑を見に行き、愛と気骨にあふれた明治の教育者、会ったこともない西村清雄という人物に思いを馳せてみたいと思いました。
買取の仕事をしていると、時々思いがけない品物との出会い、ロマンを感じる瞬間があります。そんな時は、この仕事を始めて良かったなと思いますね!
ちなみに、これらの色紙はとても貴重なものなので、しかるべき所に寄付できればと考えています。
西村清雄 1871年(明治4年)2月13日- 1964年(昭和39年)12月25日
賀川豊彦 1888年(明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日
河上丈太郎 1889年(明治22年)1月3日 - 1965年(昭和40年)12月3日
淺沼稻次郞 1898年(明治31年)12月27日[1] - 1960年(昭和35年)10月12日